2021-01-01から1年間の記事一覧
かすてらを切るや薔薇の芽みな動く 長谷川櫂 吉野山 咲きみちて花におぼるる桜かな 同 花びらや今はしづかにものの上 同 滅びゆく宋を逃れて昼寝かな 同 PET検査 さみだれや人体青く発光す 同 振り返りみれば巨大な蟻地獄 同 さまざまの月みてきしがけふの月…
桃の葉の裏へ這ひ入る星あかり 佐藤文香 夕野分こころ拾つてゆきにけり 同 岸までを夜空の満たす朧かな 同 ひとつある夕日を冷やす地平かな 同 かしはばあぢさゐ祈りは喉をのぼりくる 同 冬のみづひき惑星の夜と夜を結ぶ 同 ゆめにゆめかさねうちけし菊は雪 …
千円の野口英世と梅雨じめり 松田ひろむ 夜の街夜の男の夏の風邪 同 COVID禍文月の妻を抱きあげて 同 新名句入門「新型コロナウイルス感染症と俳句11 」より ウイルスにたっぷり効かす山葵漬 松田ひろむ ウイルスに入口出口五月闇 同 みなみ風海坂藩にウイル…
連凧につながつてゐる地球かな 赤間学 魚の骨きれいにぬけて十三夜 同 蕎麦の花イーハトーブの風になる 同 被災者の戻る麦の穂月夜なり 同
秋炊ぐ聖書に瓦斯の火がおよぶ 赤尾兜子 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢 同 さしいれて手足つめたき花野かな 同
体ごと振るフライパン春隣 木暮陶句郎 音の無き刻をつないで流れ星 同 湯たんぽの命と思ふ湯をそそぐ 同 宇宙みな回りて轆轤始かな 同 毛の国の起伏を滑る初日影 同 水音の透けてをりたる谷若葉 同 太陽のかけらも運び蟻光る 同 水と土ぶつけて轆轤始かな 同
中国語圏で最初の本格的歳時記。383の季語、1863句が収録されており、華文俳句における貴重な歳時記となっている。
薄氷の星にとけゆく水の音 松本龍子 傷口のやうに桜のあふれをり 同 仰向けに星をつかみし兜虫 同 落葉焚く龗神を鎮めけり 同 月光を背負ひて登る夜の蝉 同
流星や分数にある水平線 金子敦 露の世のスマートフォンの重さかな 同 裸木と聖樹の枝の触れ合へる 同
枯れるもの枯れを尽くして命継ぐ 渡辺誠一郎 三月の海が薄目を開けるとき 同 打水やうしろの影を濡らしては 同 原子炉はキャベツのごとくそこにある 同
星するり体を抜けるスキーの夜 谷原恵理子 再び会ふ夏蝶すでに傷つきて 同 鞍馬山降りひとの世にかき氷 同 眉にふれ淡海にふれ春の雪 同 椿落つ大地に伝ふ波の音 同 雪の鯉音なき水に生きてをり 同
何とか芭蕉百句の解説と英訳を終えました。これも陰に陽に支えて下さった皆様のお蔭と心よりお礼申し上げます。不備も多々あると思いますので、お気づきの点はご遠慮なくお申し付け下さい。推敲を重ねた上で、きちんとした形で出版できたらと考えています。…
たびにやんでゆめはかれのをかけめぐる 元禄7年(1694)10月8日の作。『笈日記』には前書として「病中吟」とある。たしかに芭蕉が最後に詠んだものであり、辞世の句としてよく知られている。 天野桃隣の『陸奥鵆』には、同年5月、江戸を発つ際、芭蕉が「此度…
あきふかきとなりはなにをするひとぞ 元禄7年(1694)9月28日の作。大坂を訪れていた芭蕉は、翌29日に催される芝柏亭の句会に招かれていたため、前日に詠んだ掲句を予め送っていた。しかし、当日、芭蕉は体調不良のために欠席している。おそらく前日から何ら…
世を捨ても世に捨てられもせずさくら 塩見恵介 ゴールデンウィークをアンモナイトする 同 白バイの前輪薔薇を嗅いでいる 同 噴水の前で止まっている家族 同 楽しくはないがいそぎんちゃくゆれる 同 蒲公英を咲かせて天と地の和解 同 燕来る隣の駅が見える駅 …
このみちやゆくひとなしにあきのくれ 元禄7年(1694)9月の作か。同年9月23日付の「意專・土芳宛」書簡には、「秋暮」と前書きして「この道を行く人なしに秋の暮」とあり、これでは単なる蕭条とした秋の夕景の描写に留まる嫌いがある。 しかし、『笈日記』に…
はすのかをめにかよはすやめんのはな 元禄7年(1694)6月の作。『うき世の北』には「丹野が舞台にあそびて」と前書がある。丹野とは、大津の能太夫・本間主馬の俳号である。掲句は、丹野邸に招かれて能を鑑賞した際に詠まれたものである。 能面は、その目か…
ひやひやとかべをふまへてひるねかな 元禄7年(1694)の作。『芭蕉翁行状記』には「粟津の庵に立ちよりしばらくやすらひ給ひ、残暑の心を」と詞書きがある。『笈日記』では、芭蕉が各務支考に「この句はどう解釈するかね」と尋ねると「残暑の句と思います。…
むぎのほをたよりにつかむわかれかな 元禄7年(1694)5月の作。前書に「五月十一日武府ヲ出て故郷に趣ク。川崎迄人々送りけるに」とある。それに先立つ5月初旬、芭蕉の送別会が催された。その際に芭蕉は「今思ふ体は浅き砂川を見るごとく、句の形・付心とも…
むめがかにのつとひのでるやまじかな 元禄7年(1694)正月頃の作。早暁、山道を登っていたところ、ちょうど昇ってくる朝日に遭遇したのである。折しも、側には梅が花を咲かせて良い香りを漂わせている。あたかもその芳香に誘われたかのように現れた日輪の場…
ほうらいにきかばやいせのはつだより 元禄7年(1694)正月、江戸・芭蕉庵での作。蓬莱とは、新年の飾り物で、三方の上に紙、歯朶 、昆布、 楪はを敷き、その上に米、橙 、熨斗鮑、蓬莱、橘 、 勝栗、 野老、穂俵、海老など、山海の幸が盛られた。中国の伝説…
いるつきのあとはつくえのよすみかな 元禄6年(1693)の作。同年8月に72歳で他界した榎本東順を追悼する句。東順は、其角の父で膳所藩本多侯の侍医であった。『東順伝』によれば、東順は60歳頃、医業を辞めて隠居し文筆に専念した。『東順伝』には「市店を山…
あさがほやひるはぢやうおろすもんのかき 元禄6年(1693)の作。芭蕉は7月の盆以降、およそ1ヵ月の間、芭蕉庵の門を閉じて世俗との交わりを断った。この頃の心境については「閉関の説」に詳しい。要はそこに書かれた「老若をわすれて閑にならむこそ、老の楽…
しらつゆもこぼさぬはぎのうねりかな 元禄5〜6年(1692〜93)頃の作。『しをり集』には「予間居採荼庵、それが垣根に秋萩をうつし植て、初秋の風ほのかに、露置わたしたる夕べ」と杉山杉風による前書が記されている。 萩は、落葉低木であり、その枝は数条に…
たかみづにほしもたびねやいはのうへ 元禄6年(1693)7月7日夜の作。『芭蕉庵小文庫』には、「吊初秋七日雨星」と題した次のような前文が記されている。 元禄六、文月七日の夜、風雲天にみち、白浪銀河の岸をひたして、烏鵲も橋杭をながし、一葉梶をふきをる…
ほととぎすこゑよこたふやみづのうへ 元禄6年(1693)4月の作。水辺におけるホトトギスの題詠による句。蘇軾『前赤壁賦』の「白露横江、水光接天」という詩句が念頭にあったことや、同じく芭蕉詠の「一声の江に横ふやほとゝぎす」よりも水間沾徳や山口素堂ら…
にわはきてゆきをわするるははきかな 元禄5年(1691)の作か。『蕉影餘韻』「寒山画讃」(芭蕉真蹟)に、箒を持った寒山の後ろ姿と共に、掲句が添えられている。 掲句には、庭の雪を掃きながらも、雪を忘れている寒山の融通無碍なる閑身自在心が詠まれている…
ものいへばくちびるさむしあきのかぜ 元禄4年(1691)年頃の作か。芭蕉は、元禄5年(1691)に新築された芭蕉庵に座右の銘として掲句を書き付けている。『芭蕉庵小文庫』では、「物いへば唇寒し穐の風」の前書として「座右之銘/人の短をいふ事なかれ/己が長を…
めいげつやかどにさしくるしほがしら 元禄5年(1692)8月15日の作。江戸深川・芭蕉庵で月見を催した際の句。同年5月から、芭蕉は旧庵の近くに新築された芭蕉庵で過ごし、そこで仲秋の名月を眺めた。旧庵と同じく、新庵も隅田川に小名木川が合流する北の角地…
かまくらをいきていでけむはつがつを 元禄5年(1692)4月の作か。『徒然草』の第119段にも、鎌倉の海で獲れる鰹が賞されている。江戸時代になると、物資の運送も発達して鎌倉あたりの魚介は新鮮なまま江戸へ運ばれた。掲句には、鎌倉で水揚げされた初鰹が活…
