むぎのほをたよりにつかむわかれかな
元禄7年(1694)5月の作。前書に「五月十一日武府ヲ出て故郷に趣ク。川崎迄人々送りけるに」とある。それに先立つ5月初旬、芭蕉の送別会が催された。その際に芭蕉は「今思ふ体は浅き砂川を見るごとく、句の形・付心ともに軽きなり。其所に至りて意味あり」と述べて、門人らに「軽み」を説いている。この旅にて芭蕉が客死したことを思えば、結果的に蕉風俳諧の至境を遺言としたとも言える。
5月11日、江戸を発つにあたり、見送りの門人らに掲句を残して別れを惜しんだ。離別の悲しみに加えて、体力的に衰えもあり、麦の穂を掴んでやっと身体を支えているといった哀れさが伝わってくる。また、麦からは「青人草」が連想され、俳諧の寄方はあくまでも庶民性にあることが暗示されているような気がする。
季語 : 麦の穂(夏) 出典 : 『赤冊子草稿』
An ear of wheat
grasping it for standing
at the farewell

