あさがほやひるはぢやうおろすもんのかき
元禄6年(1693)の作。芭蕉は7月の盆以降、およそ1ヵ月の間、芭蕉庵の門を閉じて世俗との交わりを断った。この頃の心境については「閉関の説」に詳しい。要はそこに書かれた「老若をわすれて閑にならむこそ、老の楽とは云べけれ。」という一文にある。ちょうど、この年、芭蕉は50歳となり、当時では老境の域に入った頃ということになる。孔子によれば「五十にして天命を知る」ということになるが、すでに生涯の大事であった「おくのほそ道」の旅を終えた芭蕉にとって天命は果たされたという思いもあったのであろう。
掲句には、朝顔が凋む昼には門を閉ざして錠を下ろし、庵に籠もって閑寂を好む生活が詠まれている。今で言えばまさに自主的ロックダウンである。もちろん、老懶の影響もあると思うが、これまで蕉風俳諧の確立のために旅から旅の漂泊の人生を重ねたことによる疲労の蓄積、あるいは「軽み」への志向について行けない門人らへの失望なども閉居の原因だったのかもしれない。
いずれにしても、束の間ではあるが、欲を捨て自然を友とする閑寂の境地に心を癒やす穏やかなひとときを過ごしたのではないだろうか。翌年5月には、最後の旅となる九州へ向けて再び旅立つことになる。生涯を振り返る閑かな一休みだったのかもしれない。
余談であるが、新型コロナウイルス感染症が再び猛威を振い始めた昨今において、私たちも閉居が要請されて、たしかに苦しい思いもあるが、いわゆる「巣ごもり生活」によって気づかされる大事もあるかと思う。
季語 : 蕣(秋) 出典 : 『藤の實』
During the seclusion
Morning glories —
by the time their flowers wither
I'd lock the gate