よのひとのみつけぬはなやのきのくり
元禄2年(1689)4月24日の作。須賀川の相楽等躬の邸内に矢内弥三郎(可伸)という僧が草庵(可伸庵)を結んで寄寓していた。そこに大きな栗の木があり、ちょうど花を咲かせていた。その静かな佇まいに芭蕉は「山深み岩にしただる水とめんかつがつ落つる橡拾ふほど」 と西行が詠んだ深山を思い出したと『おくのほそ道』に記している。また、掲句の前書には「栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用ゐ給ふとかや 。」とある。
可伸は俳人でもあり、栗斎と号しており、可伸庵で歌仙が巻かれ際に芭蕉が詠んだ初案(発句)は「かくれ家や目だゝぬ花を軒の栗」であり、栗斎の脇句として「まれに蛍のとまる露艸」と付けた。まだまだ煩悩を滅しきれない道心を吐露する可伸の木訥さと無常観に裏打ちされた風雅の心が覗われる。
ところで、推敲された掲句では「世の人の見付ぬ」としたことにより、世俗を離れて煩悩を超越した世界である「出世間」の趣が加味され、栗の花に象徴される西方浄土あるいは悟入を求める庵主の姿がよく偲ばれる。
季語 : 栗の花(夏) 出典 : 『おくのほそ道』
Secular persons
miss the chestnut-blossoms
by a Buddhist hermitage

