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芭蕉百句 100 haikus of Basho

芭蕉百句の評釈と英訳 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto  © 2021 Takatoshi Goto

風流の初やおくの田植うた

ふうりうのはじめやおくのたうゑうた

 

 元禄2年(1689)4月22日、須賀川の相楽伊左衛門(等躬)邸での作。その一昨日の4月20日芭蕉白河の関を越えている。『おくのほそ道』では「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」と記されている。白河の関は、鼠ヶ関(ねずがせき)や勿来関(なこそのせき)と共に、奥州三関の一つに数えられる関所であり、歌枕の地でもある。「たよりあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと」(平兼盛)、「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞふく白川の関」(能因)、「白河の関屋を月のもる影は人の心をとむるなりけり」(西行)など、そこで詠まれた名歌は枚挙に暇がない。それだけ都人にとって、白河の関は、「みちのく」という異界への入り口として特別な意味を持っていた。しかし、軍事的な関所としての機能は平安中期には廃れ、江戸時代には、新しい関所が設けられており、古い関所はその在処さえ覚束なくなっていた。

 もっとも、芭蕉は、新関も古関も訪ねたが、いずれにしても往時そのままの場景はそこになく、古人の歌や故事にそれを思い描くばかりであったのであろう。ここでの芭蕉の句が『おくのほそ道』に記されていないこともその証左である。しかし、とにかく白河の関を越えて「みちのく」へ入ったのは事実である。そして、須賀川まで来て、ようやく、旧友である等躬邸にて旅の疲れを癒やすことができたのである。

 ちょうど田植えの時季であり、奥州では、関東以南では少なくなっていた組織的な大田植が行われており、その際に作業の効率を上げるための仕事歌が歌われていたのである。「風雅の誠」を探求する芭蕉は、その古式ゆかしい田植歌に風流を感じると共に、田楽を経て能楽に至る芸術的深化の源泉をそこに実感したのである。掲句は、そうした貴重な田植歌で自分を迎え入れてくれた奥州の風土への挨拶でもある。

 

季語 : 田植うた(夏) 出典 : 『おくのほそ道』

 

The rice-planter's song
I enjoyed it as the origin of art
in Oshu

Oshu : the northern part of Japan

 

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田植