まづたのむしひのきもありなつこだち
元禄3年(1690)4月の作か。『おくのほそ道』の旅を終えて、芭蕉は、近江膳所の義仲寺無名庵に滞在していたが、門人の菅沼曲水から勧められて、4月6日から4ヶ月間を山中の小庵で過ごした。この庵は、もともと曲水の伯父である菅沼定知(幻住老人)の別荘であったことから「幻住庵」と呼ばれる。国分山の中腹にあり、巷の喧騒からは離れた閑寂な環境にあったと思われる。掲句はこの小庵に入ったときに詠まれたものである。その際の芭蕉の心境が『幻住庵記』に記されているが、掲句の前文ともなっている最後の件を以下に示す。
倩(つらつら)年月の移(うつり)こし拙き身の科(とが)をおもふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは仏籠祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労して、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此一筋につながる。楽天は五臓の神をやぶり、老杜は痩せたり。賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、おもひ捨てふしぬ。『幻住庵記』
『おくのほそ道』の旅など、これまで流転の生活を続けてきた芭蕉が、久しぶりにつかの間ではあるが小庵に住むことになった。もっとも、漂泊も定住も仮の世での営為ではあるが、とりあえず雑事にも煩わされることも少ない、自然に囲まれた小庵での生活を芭蕉は選んだのであろう。ちなみに「椎」には「愚直」という意味もあり、「無能無才にして」とも共鳴する。しかし、一方では「背骨」という意味もあり、「此一筋につながる」とも共鳴する。いずれにしても、青々と茂った椎の木は、幻のような仮の世にあっても、無為自然を以て出世間の境地を醸し出していたのであろう。芭蕉が、夏木立の中でもまず椎の木を頼りにしたのも首肯できる。
季語 : 夏木立(夏) 出典 : 『猿蓑』(『卯辰集』『陸奥鵆』)
First of all
found a dependable chinquapin tree
in the summer woods

