ほととぎすいまははいかいしなきよかな
延宝末年〜貞享初年の作(推定)。ホトトギスは古来より和歌に詠まれてきたが、今、この声を聞いてもそれを句にすべき真の俳諧師はもはやいない世であると嘆いているのである。
延宝年間(1673年〜1681年)には、貞門俳諧を抑えて談林俳諧が隆盛していたことが背景にあるのかもしれない。両者とも和歌の伝統的な措辞に拠りながらも、前者ではあくまでも形式主義に拘泥し、後者では、「軽口」「無心所着」といった言語遊戯的な趣向に傾斜していくことになる。
当初、貞門派であった芭蕉も、「上に宗因なくんば,我々が俳諧今以て貞徳が涎をねぶるべし。宗因はこの道の中興開山なり」(『去来抄』)と述べているように、西山宗因による談林俳諧に旧染の打破という一定の評価を持っていた。しかし、一昼夜に2万3500句を独吟する「矢数俳諧」など、その俳諧があまりにも伝統的和歌の精神から逸脱し、常識をかけ離れた過度な言語遊戯に陥るようになると、芭蕉はこれに失望することになる。
掲句は、そうした当時の俳諧への批判が込められているように思われる。そして、芭蕉は貞門と談林を超克する真の俳諧を模索するようになる。やがて『甲子吟行(野ざらし紀行)』『笈の小文』といった漂泊の旅によって、「侘び」「さび」などを介した「風雅の誠」を探求し、新しい俳諧精神の真髄を培うことになる。その成果は、間もなく『奥の細道』において結実することになる。
季語 : ほとゝぎす(夏) 出典 : 『鹿島紀行(寛政版)』
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