やがてしぬけしきはみえずせみのこゑ
元禄3年(1690)、加賀の門人・秋之坊が幻住庵を訪ねた際に、芭蕉が彼に与えた句という。蝉は羽化すると間もなく死ぬが、今を盛りに鳴く蝉にはそんな気色など微塵も感じさせないという句意である。
ところで、秋之坊の素性は詳らかではないが、かつて前田藩士だったが、のちに士分を捨てて出家し、貧しい生活を送っていたらしい。その秋之坊が、芭蕉を尋ねて幻住庵に一泊する。もっとも、芭蕉も伊賀上野藩を脱藩し、士分を捨てた経緯もあり、秋之坊とは胸襟を開いて語り合ったであろうことが想像される。
『卯辰集』には「無常迅速」と前書がある。下天のうちを比べれば短い生命だからこそ、日々それぞれの本分を全うすべく、一所懸命に生きることが大切であることを思い知らされる。その後、秋之坊は、俳諧を以て諸国を漂泊し、享保3(1718)年に亡くなっている。もしかすると、彼が幻住庵を訪れた時分は、まだ、血気盛んな若者だったのかもしれない。いずれにしても、芭蕉も秋之坊も社会的な死を経て道心を起こした者同士であり、仏教的な意味における無頓着な蝉の声に、諦観(たいかん)するところがあったのではないだろうか。
季語 : 蝉(夏) 出典 : 『猿蓑』(『卯辰集』)
Yet soon to die
the cicadas are singing innocently
without sign of their fates

