つきさびよあけちがつまのはなしせむ
元禄2年(1689)秋、伊勢山田での作。『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉は、その足で伊勢神社の御遷宮を拝するために伊勢を訪れたが、その際、伊勢神宮の神職で俳人でもある島崎又幻(いうげん)宅に逗留した。もっとも、貞亨5年(1688)2月にも『笈の小文』の旅でも又幻宅に世話になっていることから、気心が知れた間柄だったのであろう。
しかし、今回は又幻が神職間の権力争いに負けて、生活にも困るほどの貧しさの中にあった。それでも、又幻夫婦は手厚く芭蕉をもてなしてくれた。そのことに感謝して芭蕉は掲句を認めた真蹟懐紙を又幻に贈ったが、そこに前書として以下のような「明智が妻」の逸話が記されていた。
将軍明知が貧のむかし、連歌会いとなみかねて侘び侍れば、その妻ひそかに髪をきりて、会の料にそなふ。明知いみじくあはれがりて、いで君五十日のうちに輿にものせん、といひて、頓(やが)て云けむやうになりぬとぞ。
また、『勧進牒』における掲句の前書には「伊勢の国又幻が宅へとゞめられ侍る比(ころ)、その妻男の心にひとしく、もの毎にまめやかに見えければ、旅の心をやすくし侍りぬ。彼日向守の妻髪を切て席(むしろ)をまうけられし心ばせ、今更申出て、」と記されている。いずれにしても、又幻の妻の心ばえが、まさに前述した明智光秀の妻のそれと通じることを述べたいということを芭蕉は一句に詠んだのである。ちなみに、伊勢には皇大神宮の別宮として月讀宮(つきよみのみや)があり月読命が祀られている。「月さびよ」は「神さびよ」に通じて、良妻の陰徳に必ず陽報がもたらされるように月読神の威力が発揮されることを祈る思いもそこに覗われる。清貧にして心優しい又幻の妻を讃え感謝する芭蕉の報恩の念が掲句には込められているのである。
季語 : 月(秋) 出典 : 『勧進牒』
The moon god —
now I'm going to tell you
about Akechi's wife*
*When Akechi Mitsuhide was poverty-stricken, his wife helped the renga party he played host by selling her black hair. Surely he returned her kindness in time.

