きさかたやあめにせいしがねぶのはな
元禄2年(1689)6月17日、象潟での作。今から約2600年前、鳥海山の噴火による岩なだれは日本海に至り、海を浅くして幾つもの小島(流れ山)ができた。やがてその辺りが、海岸砂丘によって塞がれて、東西20町(約2200m)、南北30町(約3300m)ほどの汽水湖が形成された。その中にある数十の小島には松などが茂り、九十九島・八十八潟と呼ばれる景勝地として古くより和歌に詠まれることになった。江戸時代には「東の松島・西の象潟」と並び称され、歌枕の双璧としてよく知られていた。
『曽良随行日記』によれば、芭蕉が象潟を訪れた16日から17日の朝にかけて雨が降っていたが、晴れるのを待って、夕刻より舟に乗って、能因が閑居したという能因島や、対岸にある西行が詠んだとされる桜の老木などを巡っている。また、近くにある干満珠寺(現・蚶満寺)に立ち寄った際は、その方丈より鳥海山や象潟に海水が入る汐越などを眺めている。ちなみに、文化元年(1804年)の象潟地震で海底が隆起し陸地化し、残念ながら往時のような象潟の佳景は失われ今に至っている。
掲句の前文には「俤、松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象潟は憾むがごとし」とある。西施は越王勾践の策謀によって呉王夫差に献じられた悲劇の美女であり、いわゆる現代で言う「ハニートラップ」である。敵国にあって憂えて流す涙と雨が共鳴することから、蘇軾は『飲湖上初晴後雨』で雨の西湖に西施を比したが、芭蕉は雨の象潟に西施を思い浮かべたのである。「ねぶ(合歓)」は「眠ぶる」に通じて、西施が目を閉じて憂える面影と重ねられている。まさに「ねぶの花」は、故事と現実との交錯に時空を超える詩的昇華として句の眼目となっている。
余談であるが、かつて私が象潟を訪れた際もちょうど雨で、しばらく蚶満寺の山門で雨宿りしたが、水溜まりや潦に浮かび、あるいは煙雨に霞む丘が小島のように見えたのを憶えている。
季語 : ねぶの花(夏) 出典 : 『おくのほそ道』
The Kisakata archipelago —
silk flowers remind me of Seishi(Xi Shi)
in the rain

坩満寺山門・象潟(九十九島)
