くものみねいくつくづれてつきのやま
元禄2年(1689)6月6日、芭蕉は、朝、羽黒山を発って、約32キロの行程で月山に登った。途中にある幾つもの難所を越えて、午後3時過ぎには頂上に到着して月山権現を参詣している。掲句からは、ゆっくりと流れる「雲の峯」がやがて月山にぶつかっては壊れる雄大な景色が目に浮かぶ。そして、気がつけばもう夕月が空に浮かんでいる。その日、芭蕉は角兵衛小屋という山小屋に泊まり、翌朝、湯殿山へ向かうことになる。
「雲の峯」は「入道雲」でもあり、そこにおける自然現象の人格化に鑑みれば、その崩壊は「死」を連想される。しかし、「崩(れ)て月の山」は「崩れて築きの山」の意味が掛けられていると佐佐木幸綱が指摘したように、諸道において「生死」を超克してしか辿り着けない至境が「月の山」に象徴されているのだと思う。
さて、月山にある弥陀ヶ原を真如の月が照らす。まさに阿弥陀如来の無量光や無量寿による時空を超えた救済を象徴する光景である。それは、一句一句を人身御供として旧染を打破しつつ蘇る芭蕉の詩魂をも彷彿させる。
季語 : 雲の峯(夏) 出典 : 『おくのほそ道』
Cumulonimbus clouds
how many have been broken
on Mt. Gassan with moon

