しづかさやいはにしみいるせみのこゑ
元禄2年(1689)5月27日、立石寺での作。前文から掲句が詠まれた場景がよく分かる。「山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ 。」(『おくのほそ道』)
境内は雨呼山の尾根筋にある天狗岩という険しい岩山に続いており、諸堂はその崖の上にへばりつくように建ち並んでいる。それらへ至るには夏は青葉の茂る木々に囲まれた峻険な山道を登らなければならない。折しも日盛りに蝉が鳴いている。崖をよじ登って諸堂を巡れば、眼下には立谷川も見えてまさに彼岸にも似た天上の趣を彷彿とさせる。
ところで、日本人は西洋人と違って、音を左脳(言語能)で感受する傾向があり、鐘の音や虫の音にも聞き入る文化が培われたと言われている。掲句において「蝉の音」ではなく「蝉の声」と詠まれている所以でもある。岩は芭蕉の頑なな心(ひとりごころ)を象徴し、蝉の発する音が声として感受されたとき、それは万物に開かれた柔和な情(ふたりごころ)へと展開する。物自体と同化することによってこそ聞こえてくる音は、もはや雑音ではなく、諸行無常の響きとして、あるいは、若くして亡くなった主君・蟬吟の声として、芭蕉の心情に立ち現れたのではないだろうか。羽化して間もなく死ぬ蝉の哀れさに裏打ちされたその鳴き声が、やはり、儚きものに心を寄せる芭蕉の情に深く沁み込んだのである。「静かさ」ではなく「閑かさ」なのは、音のない静かさなのではなく、心の閑かさなのであることは言うまでもない。推敲前の句に「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」とあることからも芭蕉の揺れ動く心情が覗われる。しかし、今そこにはまさに「佳景寂寞として心澄みゆく」という境地があるのみである。掲句は、レクイエムとしての『おくのほそ道』における白眉と言えよう。
季語 : 蝉(夏) 出典 : 『おくのほそ道』
How calm —
cicada sounds penetrate rocks
as some voices

