俳句・短歌ランキング
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

現代俳句選抄

ご恵贈頂いた書誌から、五島高資が感銘した俳句などを紹介しています。© 2021 Takatoshi Goto

笠嶋はいづこ五月のぬかり道

かさしまはいづこさつきのぬかりみち

 

 元禄2年(1689)5月4日、名取市愛島での作。芭蕉は、藤中将実方(藤原朝臣左近衛中将実方)の塚を尋ね歩き、村人から「是より遥か右に見ゆる山際の里を、箕輪・笠島と云ひ、道祖神の社 ・形見の薄今にあり」と教えられるも、折からの五月雨で道も悪く、また、疲労も重なり、ついにその塚に辿り着くことなく後ろ髪を引かれる思いでその場を過ぎ去ったのである。

 実方は和歌に優れ、中古三十六歌仙の一人に選ばれている。一説には『源氏物語』における光源氏のモデルともされている。 実方は藤原行成との些細な諍いから、一条天皇より勅勘を被り陸奥国へ左遷させられた。 ある時、任国の笠島道祖神前で、下馬すべきところをそのまま通ったことが原因で神罰が下り落馬し亡くなったとされる。 この非運な死を悼み、西行も「形見の薄」に実方を偲び「朽ちもせぬその名ばかりを留めおきて枯野の薄かたみにぞ見る」と詠んでいる。

 ところで、笠嶋の前に訪れた飯塚の里では、源九郎判官義経に従って戦死あるいは自害した佐藤庄司の子息やその嫁の甲斐甲斐しさに涙した芭蕉は「笈も太刀も五月に飾れ帋幟」と詠んでいる。このあたりから『おくのほそ道』の旅には、敗者や非業の最期を遂げた者に対するレクイエム的な要素が通底していることを思い知らされるのである。それは主君の死によって脱藩し、士分を捨てるという社会的死を経験した芭蕉の心底に深く関わっていることは間違いない。

 雨の中の悪路を実方の塚を探し求めた芭蕉の姿にも、都落ちして非業の死を遂げた実方への一方ならぬ追慕の念が感じられる。結局、墓参という目的は達し得なかったが、泉下の実方への芭蕉の哀悼が届いたことであろう。こうして今でも掲句が読み継がれていることが何よりのその証左である。

 

季語 : 五月(夏) 出典 : 『おくのほそ道』

 

Wonder where Kasashima is
at last passed through without stopping
on a muddy road in May

Kasashima : the place where there is the tomb of FUJIWARA no Sanekata (court noble and famous Tanka poet in the Heian period)

 

f:id:basho100:20210314171723j:plain

藤中将実方墓(名取市愛島塩手)