やまもにわもうごきいるるやなつざしき
元禄2年(1689)4月4日の作。同年4月3日、芭蕉は下野那須の余瀬に鹿子畑善大夫豊明(俳号 : 翠桃)を訪ねた。その兄・高勝(俳号 : 桃雪)は浄法寺家の養子となり、当時、黒羽藩城代家老であったこともあり、翌日、芭蕉は黒羽城三の丸にある浄法寺図所高勝邸に招かれた。掲句はその際に詠まれたものである。
顧みれば、桃雪と翠桃の父・鹿子畑左内高明も家老職にあったが、「給人騒動」という内紛の責任を取って江戸に隠棲していた時期があり、その際に桃雪と翠桃は江戸にあった芭蕉の門人となった。それぞれ十六、十五歳の頃である。
それから十二年後、鹿子畑家は帰藩し一族は藩の要職に復帰していた。たまたま『おくのほそ道』の旅で芭蕉が那須を訪れることとなったため、桃雪と翠桃は芭蕉を厚く遇したのである。折しも雨天が続いたこともあり、旅中で最も長い十四日間を芭蕉は黒羽に滞在することとなる。
黒羽城は西側を那珂川、東側を松葉川に挟まれた丘陵に築かれており、浄法寺図所高勝邸の庭の奥には本丸からなだらかに丘が傾斜している。それが借景となって浄法寺邸の庭に繋がっている。その座敷からは、まさに山に連なる木々の青葉や苔むす岩などが庭前にまで迫っているように見える。その夏の生気や涼気が座敷の中に届くのはもちろんだが、庭園も座敷もそうした自然と一体化されたものとして芭蕉には感じられたのであろう。現地に立つとそのダイナミックな表現に芭蕉の鋭い感性が活かされていることに深く感銘する。畢竟、「天為」と「人為」の融合に「天人合一」の佳境がうまく詠まれている。
季語 : 夏坐敷(夏) 出典 : 『雪満呂氣』
The summer room
hill and garden seem to move into it
with vigor and coolness

