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現代俳句選抄

ご恵贈頂いた書誌から、五島高資が感銘した俳句などを紹介しています。© 2021 Takatoshi Goto

若葉して御めの雫ぬぐはゞや

わかばしておんめのしづくぬぐはばや

 

 貞享5年(1688)4月、奈良での作。『笈の小文』の前書に「招提寺鑑眞和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して」とある。また「灌仏の日(旧暦4月8日)は奈良にて爰かしこ詣侍る」とあるので、和歌浦から奈良に着いた頃には季節はすでに夏となっていた。

 唐招提寺南都六宗の一つである律宗の総本山で、天平宝字3年(759)、鑑眞和上の私寺として創建された古刹である。鑑眞は、聖武天皇の招聘を受け、度重なる様々な艱難を乗り越えた末に、伝戒師として唐から来朝した高僧である。芭蕉は船中七十余度の難と記しているが、実際には五回の渡航に失敗している。しかも、それ以前に国禁を犯しての出国がゆえに様々な迫害も受けてもいた。果たして、六回目の渡航にてようやく日本に辿り着くも目を患い終に失明してしまったのである。

 芭蕉唐招提寺を詣でたのは若葉が茂る季節であり、初夏の七堂伽藍を彩っていたことであろう。しかし、鑑眞はこうした日本の美しい景色を見ることなく遷化し、いま坐像として祀られている。その軽く閉じられた瞼に、見えるはずもない泪を芭蕉は感じ取ったのであろう。それは鑑眞の艱難はもちろん、彼が感じ取ったで日本そのものを映し出す鏡とも取れるだろう。柔らかい若葉でその泪を拭って差し上げたいという芭蕉の深い思い遣りが伝わってくる。視覚による知覚は、往々にして、物を分別し観念化することによって、物の本質(物の微)を却って見えなくさせる。鑑眞は多くの薬を匂いで嗅ぎ分けることができたと言われているが、盲目なるがゆえに視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていたのかもしれない。このことは詩的創造においても大きな意義を持つ。蕉風俳諧で最も大切な「ものの見えたる光」とは、視覚や観念によって分別されものではなく、むしろ、不分別つまり差別のない直感的に捉えられる物の本質と言って良い。そういう意味でも、盲目でありながら卓越した直感力を備えた鑑眞和上によせる芭蕉の共感は大きいものがあったと思われる。

 余談ではあるが、平成17年(2005)に東京国立博物館で開催された「金堂平成大修理記念 唐招提寺展-国宝鑑真和上像と盧舎那仏-」に献句(高橋睦郎選)として拙句も展示された際、ちょうどそこで国宝・鑑眞和上像を間近く拝見する機会を得たが、なぜかその前で思わず泪が溢れ出てきたことを今でもよく憶えている。

 

季語 : 若葉(夏) 出典 : 『笈の小文

 

With fresh leaves
I'd like to wipe the tears
from your eyes

 

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芭蕉句碑・唐招提寺