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芭蕉百句 100 haikus of Basho

芭蕉百句の評釈と英訳 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto  © 2021 Takatoshi Goto

行春にわかの浦にて追付たり

ゆくはるにわかのうらにておいついたり

 

 貞享5年(1688)の作。『笈の小文』旅にて、吉野、高野山と山路を経て、ようやく3月末に和歌浦に着いた際に詠まれたもの。紀伊山地ですでに春を見送ったと思ったが、大海に開けた和歌浦における暮春の佳景に巡り会った喜びが「追付たり」にうまく表現されている。

 和歌浦は、古くから景勝の地であり「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして 鶴(たづ)鳴きわたる」(『万葉集』919)と山部赤人が詠んで以来、歌枕の地として広く知れ渡ることとなる。ちなみに、近くに鎮座する玉津島神社は、住吉大社柿本神社と並んで「和歌三神」を祀る社として崇敬されている。もっと、和歌浦はかつて「若の浦」と呼ばれており、近くにある蓬莱岩は、秦の始皇帝の命で不老不死の妙薬を求めて徐福が辿り着いたという伝説も残っており、現在でも「若返り」のパワースポットとして訪れる人も多いという。

 まさに時を忘れさせるほど美しい和歌浦の風致は、佐保姫もしばし足を止めるような魅力があるのだろう。掲句においても、「春」という時候があたかも旅人のように捉えられているところに「天人合一」の詩境が感じられる。それは、その後の『奥の細道』冒頭における「月日は百代の過客にして」という蕉風俳諧の宇宙観へと連なるのである。

 ところで、伊藤博之は『西行芭蕉詩学』において、芭蕉が、古今集以来、言葉につきまとう慣習化されたコンテキストを断ち切る表現法を西行の歌から学び取って、「切れ」の詩法を確立したと指摘している。惟みれば『笈の小文』の旅は西行の足跡を追っているのは確かである。西行ともゆかりの深い和歌の聖地でもある和歌浦において、芭蕉が追い付いたのは西行であり、それは俳諧に芸術的昇華をもたらす「切れ」の詩法に手応えを確認したことと重なるのではないだろうか。『笈の小文』において掲句に続いて、「跪(踵の誤記か)はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ」と記されている所以でもある。そう考えると『奥の細道』の旅は、西行の詩法を俳諧に受け継いでさらに発展させようとする芭蕉の挑戦とも位置づけらると言えよう。

 

季語 : 行春(春) 出典 : 『笈の小文

 

Spring is passing
I have caught up with her
at the cove of Waka 

Waka(=Tanka) means a traditional Japanese poetry (thirty-one syllables,written in a 5-7-5-7-7 meter) or "youth".

 

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和歌浦