ちちははのしきりにこひしきじのこゑ
貞享5年(1688)春、高野山での作。長くなるが、『枇杷園随筆』に記された掲句の前文を次に示す。
高野のおくにのぼれば、霊場さかんにして法の燈消る時なく、坊舍地をしめ仏閣甍をならべ、一印頓成の春の花は、寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼にも腸を破るばかりにて、御庿を心しづかにをがみ、骨堂のあたりに彳(たゝずみ)て、倩(つらつら)おもふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬂髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も、此内にこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そゞろにこぼるゝ涙をとゞめて、
顧みれば、5年前に母を亡くし、この年には亡父の三十三回忌追善法要を修した直後であり、高野山は、父母の遺髪のみならず、亡き主君・藤堂良忠(蟬吟)の遺骨を納めに参上した聖地である。寺院仏閣や墓碑が建ち並ぶ霊場は古い木々に囲まれながら静寂に包まれている。まず奥の院に弘法大師を拝し、主君や先祖の菩提を弔えば、どこからともなく雉子の声が聞こえてくる。それに感応して、儚きこの世に涙を禁じ得ない芭蕉のさびしさが伝わってくる。
行基が詠んだ「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(『玉葉集』)が掲句の本歌と思われるが、親子の情が厚いとされる雉の声を霊山で聞けば、故人への思慕もいっそう深まる。
季語 : 雉子(春) 出典 : 『曠野』(『笈の小文』『泊船集』)
Voices of the pheasant
deeply cherish the memory
of deceased parents

