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芭蕉百句 100 haikus of Basho

芭蕉百句の評釈と英訳 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto  © 2021 Takatoshi Goto

ほろほろと山吹ちるか滝の音

ほろほろとやまぶきちるかたきのをと

 

 貞享5年(1688)の作。『笈の小文』では「西河(にしかう)」と前書がある。そこは、音無川が吉野川に合流するあたりの地域であり、「滝」は、川の激流や早瀬も指すことから、そのいずれかの河畔で詠まれたものと思われる。『笈の小文』では、掲句の直後に、「蜻蛉が滝」という前書らしき記述があるが、発句は見当たらず、「布留の滝は布留の宮(石上神宮)より二十五丁の奥也 布引の滝 箕面の滝勝尾寺へ越る道に有」という文章が続いている。従って、『笈の小文』は未定稿である可能性も指摘されている。

 『日本古典文学大系-芭蕉句集』では、吉野川の激流となって岩の間を滾り落ちる瀬音につれて山吹の花が風もなく散りこぼれる様を詠んだものと解釈されている。これに対して、山本健吉は『芭蕉全発句』において、掲句は、音無川の上流にある蜻蛉の滝で詠まれたとしている。たしかに芭蕉の真蹟が添えられた森川許六の画には、崖の上から落ちる滝と山吹が描かれており、山本説に矛盾しないように思われる。しかし、この画賛は、かなり後年である元禄5年(1692)あたりの制作であり、しかも、許六は掲句の詠まれた場所には同行しておらず、実際の光景とは異なる創作の可能性を否定できない。

 ちなみに、吉野川で「岸の山吹」を詠むことは、和歌の世界では古くから慣用的に為されてきたことであり、たとえば、紀貫之の「吉野川岸の山吹ふくかぜに底の影さへうつろひにけり」などがその代表的な歌である。『真蹟自画賛』には「岸の山吹とよみけむ」と記されており、やはり、吉野川の滝つ瀬で詠まれたものと思われる。

 いずれにしても、「ほろほろ」という擬態語によって、あたかも滝の音に感応するかのように散る山吹に命の儚さまでもがしみじみと伝わってくる。風を待たずして散る山吹に芭蕉は自らを同化させて無常迅速を感じ取っているかのようである。「散るか」とは詠嘆であると共に、山吹はもちろん自らへの問いかけとも取れる。ここで、まさに「花に問へば花かたることあり。」(『或時集』)あるいは、「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ。」(『三冊子』)という芭蕉の言葉を思い出すが、さらには、自らが対象物と同化することによる「主客一如」という至境もそこに覗われる。また、猛々しい激流に吞み込まれる可憐な山吹の花に「しおり」や「細み」といった蕉風俳諧の要素を感じ取ることもできよう。

 

季語 : 山吹(春) 出典 : 『笈の小文』(『曠野』『泊船集』)

 

Sound of the torrent —
the kerria blossoms are falling
softly and gently

 

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山吹