さまざまのことおもひだすさくらかな
貞享5年(1688)3月の作。『笈日記』には「同じ年の春にや侍らむ、故主君蟬吟公の庭前にて」と前文があり、伊賀上野へ帰郷した際に藤堂良忠(蟬吟)の嫡男・良長(探丸)に招かれて、その別邸(下屋敷)で詠まれた句である。ちなみに、頴原退藏は次のように述べている。「芭蕉は脱藩の罪を犯した身だから、正式に藤堂家に出入りすることは許されなかった。『笈の小文』の本文に、芭蕉がこの句について何も語っていないのも、やはり憚った為であると思われる」(『芭蕉俳句新講』)と。しかし、芭蕉は、良忠の死後、その弟に仕えることを潔しとせず、脱藩したのだから、すでに二十余年を経て、五千石の侍大将となっていた良長にとって芭蕉を疎むことはなく、むしろ、自らも俳人となって探丸と号していた良長は芭蕉を厚く遇したのである。おそらく、その別邸は芭蕉もかつて蟬吟と訪れていたと思われ、その庭に立つ桜も一緒に眺めたことであろう。ちょうど良長は23歳となっており、その姿は芭蕉に亡き主君の俤を彷彿させて感慨も一入だったに違いない。
掲句は、今は亡き主君・蟬吟と共に眺めたであろう桜の花を再び見つめながら、二十余年の幾星霜における様々な出来事に思いを巡らす芭蕉の姿が目に浮かぶ。ところで、上五には母音aが多く、中七には母音oが多く、そして、下五には再び母音aが多いことが分かる。一般に母音aは明く、母音oは暗い印象をもたらすとされる。つまり、まず首を上げて桜の木や空を仰いでかつての楽しかった昔に思いを馳せ、次には、おもむろに首を垂れて、泉下の蟬吟のことやこれまでの艱難を偲び、そして、再び、首を上げて今を盛りの桜を見ることができたことを喜ぶ芭蕉の姿や所作が、音韻のイメージと相俟って立ち現れてくる。
もっとも、掲句が人口に膾炙する要因としては、現在の小学生でも容易に諒解できる平易な表現であることがまず挙げられる。そして、そこには、芭蕉が晩年に志向した「軽み」の精神に連なるものが覗われる。人生の中で数十回ほどしか見ることができない桜の花と人との間には儚いがゆえに深い縁(えにし)が生じやすいこともあるが、春の喜びを象徴するかのような美しい花の風姿と共に、日本人独特の美意識と共鳴する落花の潔さも相俟って、まさに様々な機微も生じやすい。そうした桜と日本人の特殊な関係性に裏打ちされた最も簡明で最も深長な詩想を体現したものとして掲句の真価が認められるのではないだろうか。
季語 : 桜(春) 出典 : 『小島家蔵真蹟』(『笈日記』『笈の小文』『泊船集』)
The cherry blossoms
bring a lot of various things
to mind deeply

