くすりのむさらでもしものまくらかな
貞享4年(1687)の作。『笈の小文』の旅中、芭蕉は、11月21日に鳴海から熱田へ移り、同月25日には名古屋の医師で門人の山本荷兮を訪ねている。『皺筥物語』には「一とせ此処(熱田)にて例の積聚さし出て、薬の事医師起倒子三節にいひつかはすとて」と前書があり、熱田の医師・欄木起倒子(本名・三節)に薬を所望する際に添えられた句と考えられるため、熱田から名古屋へ至るまでの間に詠まれたものと推測されている。山本健吉は「積聚とは俗にいう癪で、胸部や腹部に痙攣を伴う激痛、すなわちさしこみで、胃痙攣もその一つである」(『芭蕉全発句』)と述べている。しかし、漢方でいう「積聚」とは、腹中の結塊によって腫脹や疼痛を伴う症候のことであり、様々な芭蕉の書簡には痔疾と共に疝気を煩っていたことが多く記されてることから、おそらく、ここでの症状は胆石症などによる疝痛ではなかったかと思われる。
疝痛とは、発作的に起こる間欠的で、差し込むような腹痛であり、病変部の平滑筋を弛緩させる作用を持つ鎮痛薬が効果的であり、漢方では芍薬甘草湯や大建中湯などが処方される。
芭蕉は、以前、元大垣藩士にして医師であり俳人でもあった本間道悦から医学を学び、貞享3年4月12日付の医術伝授誓紙を授けられている。そこには相伝医術啓廸院一流とあるから、曲直瀬道三による漢方医学を芭蕉が弁えていたことが考えられる。そうであれば、持病の薬は持参していたはずであるが、掲句からは、それを服用してもなかなか痛みが治まらなかったか、あるいは、薬を切らしたのかもしれないことが覗われる。ただでさえ寒い霜夜の旅寝にあれば、まさに悲痛な心境がひしひしと伝わってくる。
季語 : 霜(冬) 出典 : 『笈日記』(『泊船集』『皺筥物語』)
To take medicine
uneasy even if it is not
at a frosty night

