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現代俳句選抄

ご恵贈頂いた書誌から、五島高資が感銘した俳句などを紹介しています。© 2021 Takatoshi Goto

鷹一つ見付けてうれしいらご崎

たかひとつみつけてうれしいらごさき

 

 貞享4年(1687)11月の作。『笈の小文』の旅で、芭蕉は、越智越人尾張蕉門の重鎮)を伴って、三河渥美郡の保美村に隠棲していた門弟の坪井杜国を訪ねた。杜国は名古屋で米穀商を営む名家に生まれて家業に携わるが、貞享2年(1685)、当時、禁止されていた空米売買の咎で死罪となるも、尾張藩二代藩主・徳川光友の恩赦によって、渥美郡畠村へ流謫となり、のちに保美村に遷っていた。『鵲尾冠(しやくびくわん)』(越人撰)には「杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て」と記されており、掲句は、芭蕉、越人、杜国の三人が、保美村から渥美半島の突端である伊良湖岬へ遊覧した際に詠まれた句である。

 東日本(太平洋側)の鷹の多くは、群れをなして一斉に伊良湖崎から初めて海を渡って対岸の志摩半島へ向い、その後は、四国、九州を経て南西諸島や台湾などで避寒する。掲句では、その群れから外れた一羽の鷹を見付けたのかもしれない。それは、世間から追放されて一人となった杜国との再会と重なって、芭蕉にはうれしく思われたのであろう。ここで山本健吉は次のように述べている。「主観的には〈罪なくして配所の月を見る〉という運命を甘受しなければならなかった彼の姿が〈鷹一ツ〉であろう。初案〈似る物なし〉とは、杜国の人物の気品を鷹にたとえたのだろう。伊良湖万葉集の麻続王以来、罪を得たさすらい人が海人のような侘しい生活を送るところである。鷹と杜国と麻続王とが三重のイメージを作り上げている。こう考えると〈うれし〉とは、悲しみの籠もった〈うれし〉である」(『芭蕉全発句』)と。まさにその通りだと思うが、私はさらに、その「悲しみ」が「愛しみ」へと連なり、その変化に「侘び」から「さび」への詩的深化を認めて良いのではないかと思うのである。(註 : 山本健吉は『伊良湖崎』の「いらご崎にるものもなし鷹の声」を初案と推測している)

 『万葉集』には、麻續王(をみのおほきみ)が、伊勢国の伊良虞の島に流された時、それを悲しんだ人が詠んだ歌である「打麻(うちそ)を麻續の王海人(あま)なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」に対し、麻續王が唱和した「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈り食む」という和歌が残されている。皇子の一人は血鹿嶋(五島列島)に流されたと云う。また、麻續王は柿本人麻呂という説もある。ちなみに、五島列島も鷹の渡りで知られている。私も上五島に赴任していた際にハチクマという鷹の大群が大陸を目指して東シナ海へ飛び立つ景色を見たことがあるが実に壮観であった。ところで、『万葉集』に伊良虞が伊勢国とあるのは、渥美半島尾張を介する陸路より、伊良湖水道を渡る海路で伊勢と近かったからなのではないだろうか。やがて、『笈の小文』の旅では、伊勢で杜国が芭蕉を出迎えて、吉野の花見へ同行することになる。

 

季語 : 鷹(冬) 出典 : 『笈の小文』(『知行子』『泊船集』『合歓のいびき』『笈日記』)

 

At Irago Cape
I am glad to find
a single hawk

 

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