ふるいけやかはづとぞこむみづのをと
貞享3年(1686)の作。近年における蕉風俳諧への回帰志向は、平成16年(2004)に長谷川櫂が、その著書『俳句的生活』の中で展開した、掲句についての新しい解釈に端を発する。要するに、「どこからともなく聞こえてくる蛙が飛び込む水の音を聞いているうちに心の中に古池の面影が浮かび上がった」のであり、「切れ字の「や」は現実の世界で起きている「蛙飛びこむ水の音」とは切り離された心の中に現実ならざる古池を浮かび上がらせる働きをして」おり、「心の中の古池こそが閑寂境」であると長谷川氏は主張したのである。
そもそも、掲句の成立を温ねれば、貞享3年閏3月の『蛙合』にその初出を見る。その様子については各務支考の『葛の松原』に詳しく、芭蕉は最初「蛙飛びこむ水の音」の七五を得た後、榎本其角が提案した「山吹や」の上五を採らず、結局、「古池や」を上五に定めたと記されている。さらに支考は、「古池や蛙飛びこむ水の音」と「山吹や蛙飛びこむ水の音」の二案を判じて「山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実なり。実は古今の貫道なればならし」と説いている。もっとも、ここでの「実」を現実として取れば、支考の解釈と、「古池」を現実ならざるものとして措定する長谷川説と相反するように思われるが、心主詞従の説を敷衍して「華」を外形に、「実」を内実に求めるならば両者は相通じていることが分かる。
ところが、前述したような心主詞従の説に拠る支考の解釈に対して、潁原退蔵は次のように異を唱えている。
「それはそれで勿論宜い。しかし、華実を単に山吹と古池との場合にして考へて見ると、もつと違つた解釈が試みられるやうである。即ち一を写象的な叙景と見、一を象徴的な観想と見るのである。さうしてこの古池の句の場合、その光景が何等かの象徴として捉へられて居ることによつて、初めて立派な俳句となつて居る。実はさういふ解釈を下したいのである。」『俳句に於ける写生』
「一句の表面に現れたるだけの意義」に終始する写実偏重を排するという意味においては長谷川説と相通じるが、潁原説では一句ねも全体が写実的でありながら、そこに示現された「光景」に象徴的次元が重なって立ち現れるというモノフォニーから派生するポリフォニーと言うべき詩境に俳句の真価を求めている。従って、潁原説では、あくまでも、まず古池に蛙が飛び込んで水の音が聞こえるという状況を写実的な叙景として想定する。また、その一方で、古池の静を擾す音が却って静を感じさせると共に、その音が消え去って再び静に帰する古池に至る心と、そして、けだるさの中にも明るい静寂さが感じられるという晩春のアンビバレントな季節感とが共鳴すること、つまり、自己と天然とが相互滲潤(造化随順)する志向性に風雅の淵源を求め、茲に至って初めて「さび」が体得されるという詩法の確立を以て蕉風開眼と見なし、それを能く体現する一句として潁原博士は「古池の句」を評釈しているのである。ところで、『名句評釈』における潁原博士の句評は実に簡明である。冒頭から「古来やかましい句である」と起筆し、支考、越人、其角などの諸説、あるいは『古池真伝』などに触れながらも、「要するにどこでもよい、青く水の淀んだ古池がある。~中略~ 徒らに千言万語を費す必要はないのである。箇中消息は自ら領会するものがあるだらう。」と結論している。
ここで確認したいのは、俳句が優れた「さび」の文芸である為には、まず優れた「写実」が存することを不可欠の前提とすると同時に結局それが象徴詩たる宿命を負うべきものであるという潁原博士の主張である。ところで、掲句においては、対象の観照によって得られた詩興が、造化随順、枯淡静寂、さらにはその先に仄めく「ものの生命」あるいは「ものの見えたる光」へと至ることによって既存の美意識や固定観念を離れ、心奥なる詩魂へと質的変化を遂げんとする志向そのものが「心の色」なのであり、それは自ずから一句の句姿に「句の色」として醸し出されるのである。掲句について「蒼く湛へた静かな池の面に、突然大きな波紋を描いて起る水音、静と動の交錯がそこには象徴されて居る」と潁原博士が喝破した所以である。また、麻生磯次・小高敏郎著『名句辞典』(創拓社)における掲句の評釈には、「単なる写生の句でもなく、叙景の句でもない。古池にひろごる閑寂の余響を、作者は、しみじみと心に味わおうとしたのである。古池は心の田地ともいうべきものである。明鏡止水の心裡に点ぜられた刹那の音に、永遠の閑寂の姿を追い求めた句である」とあり、やはり潁原説を敷衍したものである。
以上のように、すでに多くの評釈があり、蛇足ではあるが、私見を述べてみる。掲句を一読すれば、やはり、古池に蛙が飛び込んで水音が響いたという「実景」がまず脳裡に浮かぶ。それはあくまでも言語の記号的情報による散文的解釈である。次には、もっと具体的に、幼い頃よく遊んだ近所の弁天池の「光景」などが想起されたりする。そして、我に返って掲句を俳句として理性的に読み直せば、作者とを隔てる時空の壁を「や」の切字が鑿開することによって様々な「情景」が想像される。ところが、そこに仄見えてくるのは、蛙ではなく芭蕉その人の姿なのである。例えば、それは、主君の死に士分を捨てて漂泊する芭蕉であったり、あるいは、貞門の旧染に泥む京師を脱して東下する芭蕉といった具合である。さらには、言語遊技に停滞する談林の陋巷を離れて深川の池州番小屋に潜居する芭蕉、そして、ついには天和の大火で草庵が類焼し海に身を投じて辛くも急火を遁れる芭蕉が思い浮かばれるのである。つまり、そのいずれにも覗えるのは、「死」に切迫するような艱難に遭遇しても「命がけの飛躍」によって何度もよみがえる芭蕉の強かな魂胆なのである。ちなみに、この小文を書くにあたり、実際にアマガエルを自宅で飼育して観察したが、アマガエルは身に危険が迫った時以外に自ら音を立てて水に入ることはなかった。
もっとも、「命がけの飛躍」とは、芭蕉の境遇やアマガエルの生態のみにておけるにあらず。むしろ、句作における大事と思う。「切れ」の詩法は常識やこれまでの自分を捨てて言葉と言葉との新しい関係性において詩的創造性を確立するということである。つまり、既存の観念や自己から超脱して初めて新しい表現世界やほんとうの自己が見えてくるのだと思う。芭蕉は通俗卑近の内にも新しい言葉の関係性を構成するという「切れ」の詩法によって俳諧に新しい美意識の領野をもたらしたのである。しかし、その一方で、「切れ」は言語の記号性や旧い美意識や固定観念などによって保証されてきた他者との交流にも間断を生ぜしめる危険を孕む諸刃の剣でもあった。従って、芭蕉は「平生則チ辞世なり」と唱えて、句作に臨んでは常に「一句懸命」の真剣勝負だったのだ思う。畢竟、掲句では、一句というモノフォニーの中から、「切れ」による「静」「動」そして再び「静」へと回帰するという通時性と、前述したような写実的次元と象徴的次元との相互浸潤による共時性とが織り成すポリフォニーがあふれ出すという極めて高度な詩的創造性が認められるのである。ここにこそ蕉風俳諧の核心があるのではないかと私は思うのである。蕉風開眼の句とされる所以でもある。
季語 : 蛙(春) 出典 : 『波留濃日(春の日)』(『蛙合』『あつめ句』)
Old pond —
a frog jumped into
the sound of water

