いのちふたつのなかにいきたるさくらかな
貞享2年(1685)、近江・水口での作。前書に「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」とある。故人(旧友)とは、服部土芳のことで、藤堂藩に出仕した頃から芭蕉に俳諧を学ぶ。しかし、寛文6年(1666)、芭蕉は、主君・藤堂蟬吟の死に際して藤堂藩から身を退く。時に芭蕉 23歳、土芳 10歳。それ以降、二人は離ればなれとなる。
ところが、江戸へ下向していた芭蕉が『甲子吟行』の旅にて近江へ来ることを知った土芳はこれを追い、ついに水口で二十年ぶりの再会を果たすこととなる。そこで「同じ旅ねの夜すがら語りあかす」と『芭蕉全傳』に記されており、再会のよろこびが一方ならぬものだったことが分かる。土芳は、のちに芭蕉の俳論をまとめた『三冊子』を著すなど、伊賀蕉門の中心人物として活躍し、蕉門十哲に数えられることもある。
芭蕉は藩を離れて俳諧師として漂泊の旅にあり、一方、土芳は藩に仕えながら俳諧にも勤しむという、一見、対照的な二つの生き方ではあるが、二十年を経ても、人生の意義を俳諧に見出そうとする思いは同じであることを互いに認め合ったことが何よりも二人にとってまさに僥倖だったに違いない。掲句の「命二ッ」とは、もちろん、二人別々に生きてきた「生命」であるが、再会という「運命」や、さらには、これからの「天命」へと包摂される「命」へと敷衍されるのである。この再会の翌年、土芳が藩を致仕して俳諧に専念したこともその証左の一つと言えよう。
いずれにしても、そうした再会をよろこぶ二人のまなかいに桜が生き生きと花を咲かせている。もっとも、別々の人生を歩んだとはいえ、時空を超えて芭蕉と土芳の心には同じ俳諧という桜が培われていたのである。
季語 : 桜(春) 出典 : 『甲子吟行』(『紀行真蹟』『熱田三謌僊』『孤松』)
At Minakuchi I meet an old friend after an interval of twenty years
Cherry blossoms
are in lively blossom
between two lives

