俳句・短歌ランキング
にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

現代俳句選抄

ご恵贈頂いた書誌から、五島高資が感銘した俳句などを紹介しています。© 2021 Takatoshi Goto

海くれて鴨の聲ほのかに白し

うみくれてかものこゑほのかにしろし

 

 貞享元年(1684)12月、熱田での作。前書に「海邊に日暮して」(『甲子吟行』)とある。また、「尾張の国熱田にまかりける比(ころ)、人々師走の海みんとて船さしむけるに」(『皺筥物語』『熱田三謌僊』)との前文も見受けられ、黄昏時に、浜から船に乗って遊覧した際の吟であることが分かる。もっとも、江戸時代の熱田は熱田神宮門前町東海道五十三次の宮宿として繁栄すると共に、堀川河口の港町として桑名宿への渡し場ともなっていた。

 まだほの白い薄明かりが残る海上に鴨の声が聞こえてくる夕景が詠まれている。しかし、ただそれだけなら「海暮れてほのかに白し鴨の聲」とするのが一般的だが、ここではあえて中七と下五が倒置されている。このことによって、暮れ泥む海上の薄明かりのみならず、鴨の声そのものがほのかに白いという意味も出てくる。ところで、「雄大で奥深い」という意味の「遠白し」という言葉もあるが、「ガーガー」あるいは「ピューピュー」と聞こえる鴨の声は雄大ではないにしても黄昏時には奥深く聞こえるかもしれない。とまれ、普通の鴨は淡水域に生息するので、沖に出た海上から振り返れば、その鳴き声は遠く幽かに聞こえたのかもしれない。もっとも、芭蕉が詠んだのは、海に生息するスズガモ(鈴鴨の由来はその飛び立つ羽音が鈴の音に似ているからだと言う)だった可能性もある。ちなみに、ハジロ(羽白)という、翼鏡が白いカモを総称する呼び名があるが、それは飛翔するときに白い帯のように見えることに由来するらしい。実はスズガモもハジロの一種である。

 いずれにしても、芭蕉は、あえて鴨の声が「ほのかに白し」と解釈できるように詠んでいることから、音と色の共感覚による色聴として鴨の声を捉えていた可能性はすでに指摘されているところである。共感覚とは、ある感覚の刺激によって別の知覚が無意識に生じることをいい、そのような能力を持つ人を共感覚者というが、その存在は、2000人〜数十人に1人くらいと推測にばらつきはあるが、比較的希だとされる。ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチなどもそうだったと言われている。芭蕉も掲句以外に共感覚的な句をいくつか残しており、その一人だったかもしれないが、新しい開悟を目指した禅的詩興の影響によるとの指摘もある。それはともあれ、掲句における共感覚的な表現は、まさに「旅」という非日常の世界にあって、日常を超えた至境に通じる芭蕉の詩的創造を扶翼していることに間違はいない。

 

季語 : 鴨(冬) 出典 : 『甲子吟行』(『笈日記』『皺筥物語』)

 

growing dark at sea
the voices of wild ducks
are faintly white

 

f:id:basho100:20210204141252j:plain

海の夕暮れ