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芭蕉百句 100 haikus of Basho

芭蕉百句の評釈と英訳 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto  © 2021 Takatoshi Goto

みそか月なし千とせの杉を抱くあらし

みそかつきなしちとせのすぎをだくあらし

 

 貞享元年(1684)8月30日、伊勢山田、豊受大神宮での作。前書きに「暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表(とりゐ)の陰ほのぐらく御燈處々見えて、また上もなき峯の松風にしむ計(ばかり)、ふかき心を起こして」とある。「上もなき峯の松風」とは、西行の「深く入りて神路の奥を尋ぬれば又うへもなき峯の松風」(『千載集』)を踏まえている。西行は、伊勢神宮に奉納するために『御裳濯河歌合』という72首の自選歌集を編纂したが、それは、漢心(主に仏教精神)も、大和心を詠む和歌にも通じることを実作によって示したものでもあった。故あって流浪の僧侶となった西行には、もちろん「本地垂迹」という観念もあっただろうが、あくまで、旅という、一種の修行のなかで実践的に得られた詩境が結果的に神仏習合の精神に適ったものであったと言うべきかもしれない。ちにみに「上もなき峯」は、仏教界で最高位にして万物を遍照し、かつそれそのものとして示現する大日如来、さらには、神道における最高神である天照大御神にも通じている。

 さて、宵闇に伊勢の外宮を参拝した芭蕉にとって、御神灯の火は肇国における葦牙の葆光を彷彿とさせたのではないだろうか。そして、晦日ゆえ月の光もない暗闇のなか、嵐といえども千年の御神木を抱き守っているように感じられたのかもしれない。それはまるで荒々しい護法善神として習合された仏の加護をも暗示しているようでもある。

 もっとも、芭蕉が大杉の幹を抱いて嵐を聞いているとする説もあるが、「山川草木悉皆成仏」あるいは「八百万の神」という言葉に象徴されるように、森羅万象に神仏を見出す日本人の独特な宗教観に思いを致せば、それも納得がいく。ここで、西行の「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」を思い出す。往々にして視覚以外の感覚(第六感も含めて)が分別を超えた神仏の存在への掛け橋となることに鑑みると、暗闇において「ふかき心」を起こした芭蕉の行為も理解できる。

 

季語 : 月(秋) 出典 : 『甲子吟行

 

No moon on the end of month
an ancient cedar tree in the storm
feeling somthing great

 

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杉の巨木