さるをきくひとすてごにあきのかぜいかに
貞享元年(1684)の秋、富士川のほとりに哀れげに泣く捨子を見つけての吟。古来より猿の声に腸を断つ思いをするといった詩歌が多く、「猿を聞く人」とは、そうした猿の声に感傷的風流を詠む詩人のことであり、そのような人々にとって、捨子が泣く声は秋風にどう響くのであろうかといぶかっているのである。
江戸時代、一部では、貧困などの理由で、堕胎、間引き、捨子などが横行した悲しい社会背景もあったが、若くして家や故郷を離れ、士分を捨てて、流浪することになった芭蕉にとって、眼前の捨子に自らの姿が投影されたのかもしれない。風流を好む詩人である前に、現実を生きる一人の人間であり、そのこと自体を無力な存在として自覚するところに立ってこそほんとうの詩性が立ち現れることを芭蕉は主張したかったのかもしれない。
結局、芭蕉は明日をも知れぬ捨子に対して、少しばかりの食べ物を与えるだけでその場を立ち去る。無情かもしれないが、漂泊の芭蕉には精一杯の愛惜だったのだろう。『甲子吟行』には、掲句のあとに「いかにぞや、汝ちゝににくまれたるか、母にうとまれたるか。父はなんぢを惡(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ、唯是天(天命)にして、汝が性(さが)のつたなきをなけ」と記されているが、これは捨子に対するというよりも、むしろ、芭蕉が無常なるこの世の在り方を自らに言い聞かせているようでもある。
季語 : 秋の風(秋) 出典 : 『甲子吟行』
They regard taste as monkey's chattering,
how about abandoned baby's crying
in the autumn wind