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芭蕉百句 100 haikus of Basho

芭蕉百句の評釈と英訳 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto  © 2021 Takatoshi Goto

蕣や昼は錠おろす門の垣

あさがほやひるはぢやうおろすもんのかき

 

 元禄6年(1693)の作。芭蕉は7月の盆以降、およそ1ヵ月の間、芭蕉庵の門を閉じて世俗との交わりを断った。この頃の心境については「閉関の説」に詳しい。要はそこに書かれた「老若をわすれて閑にならむこそ、老の楽とは云べけれ。」という一文にある。ちょうど、この年、芭蕉は50歳となり、当時では老境の域に入った頃ということになる。孔子によれば「五十にして天命を知る」ということになるが、すでに生涯の大事であった「おくのほそ道」の旅を終えた芭蕉にとって天命は果たされたという思いもあったのであろう。

 掲句には、朝顔が凋む昼には門を閉ざして錠を下ろし、庵に籠もって閑寂を好む生活が詠まれている。今で言えばまさに自主的ロックダウンである。もちろん、老懶の影響もあると思うが、これまで蕉風俳諧の確立のために旅から旅の漂泊の人生を重ねたことによる疲労の蓄積、あるいは「軽み」への志向について行けない門人らへの失望なども閉居の原因だったのかもしれない。

 いずれにしても、束の間ではあるが、欲を捨て自然を友とする閑寂の境地に心を癒やす穏やかなひとときを過ごしたのではないだろうか。翌年5月には、最後の旅となる九州へ向けて再び旅立つことになる。生涯を振り返る閑かな一休みだったのかもしれない。

 余談であるが、新型コロナウイルス感染症が再び猛威を振い始めた昨今において、私たちも閉居が要請されて、たしかに苦しい思いもあるが、いわゆる「巣ごもり生活」によって気づかされる大事もあるかと思う。

 

季語 : 蕣(秋) 出典 : 『藤の實』

 

 

During the seclusion

 

Morning glories —
by the time their flowers wither
I'd lock the gate

 

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朝顔

しら露もこぼさぬ萩のうねり哉

しらつゆもこぼさぬはぎのうねりかな

 

 元禄5〜6年(1692〜93)頃の作。『しをり集』には「予間居採荼庵、それが垣根に秋萩をうつし植て、初秋の風ほのかに、露置わたしたる夕べ」と杉山杉風による前書が記されている。

 萩は、落葉低木であり、その枝は数条に別れて低く垂れ下がる。風が吹けば容易に撓ってうねる。掲句は、その萩の枝葉に付いている白露を落とすことなく風にゆれている光景をうまく捉えている。

 ちなみに「萩」は、本来、中国では蓬の類いを指す字だが、日本では秋に草冠を付けた会意による国字としてハギを指す。『万葉集』でもよく詠まれる植物で、秋の七草の一つとしても知られている。『鳩の水』では「月かげをこぼさぬ萩のうねりかな」とあるが、中秋の名月には芒だけでなく萩もまた月見団子と共に月に供える風習があったという。なるほど、山本健吉が指摘するように、言外に秋の到来を告げる初風が掲句には籠められている。

 しかしながら、掲句の主眼は秋の到来ではなく、秋風に吹かれても儚き露を落とさない萩のしなやかさに象徴される仏教的な救済にも似た詩想のような気がする。芭蕉最晩年の穏やかで円熟した心境もそこに覗われよう。

 

季語 : 萩(秋) 出典 : 『芭蕉圖録』

 

The bush clovers
undulating by the wind
not spilling dews

 

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芒と萩

高水に星も旅寐や岩の上

たかみづにほしもたびねやいはのうへ

 

 元禄6年(1693)7月7日夜の作。『芭蕉庵小文庫』には、「吊初秋七日雨星」と題した次のような前文が記されている。

 元禄六、文月七日の夜、風雲天にみち、白浪銀河の岸をひたして、烏鵲も橋杭をながし、一葉梶をふきをるけしき、二星も屋形をうしなふべし。今宵なほ只に過さむも残りおほしと、一燈かゝげ添る折ふし、遍照・小町が哥を吟ずる人あり。是によつて此二首を探て、雨星の心をなぐさめむとす

 つまり、七夕の夜は、あいにくの雨天で庵の側を流れる隅田川小名木川の水嵩も増しており、当然、星も見えないが、あえて芭蕉杉山杉風らと星祭りを行ったのである。その際、ある寺に泊まることになった小野小町が、そこに昔の恋人である僧正遍照がいることを知り、「岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我にかさなむ」と詠む。それに対して、遍照は「世を背く苔の衣は唯一重貸さねば疎しいざ二人寝む」(『後撰和歌集』)と返したが、結局、遍照は出家の身ゆえか、雲隠れして、小町と逢うことはなかったという。掲句は、牽牛と織女の星も雨で見えないが、その代わりに遍照と小町という往時のスターの故事を踏まえての即興詠である。戯作ながら古今という時空を超える詩境を味わうこともできる。

 

季語 : 高水(秋) 出典 : 『芭蕉庵小文庫』

 

The flood
stars are also sleeping
on the rocks

 

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雨夜の寺

    

郭公声横たふや水の上

ほととぎすこゑよこたふやみづのうへ

 

 元禄6年(1693)4月の作。水辺におけるホトトギスの題詠による句。蘇軾『前赤壁賦』の「白露横江、水光接天」という詩句が念頭にあったことや、同じく芭蕉詠の「一声の江に横ふやほとゝぎす」よりも水間沾徳や山口素堂らが掲句を良しとしたことなどが、四月廿九日付「宮崎荊口宛書簡」に記されている。

 江に横たわる白露(霧あるいは靄)よりも、ホトトギスの声が横切る方がダイナミックな感興に優れ、また、「江」よりも「水の上」とした方がスケールの大きな場景となることが、掲句に落ち着いた要因であろう。もっとも、中国における「江」には、例えば、長江のように大河の趣があり、私個人としては空間的な効果の優劣はつけがたいのではないかと思う。

 ただ、掲句では、眼には見えないホトトギスの声が水上を横切ると捉えることで、それがアクセントとなって、むしろ初夏の茫洋にして長閑な水郷の雰囲気をよく捉えているのは確かである。

 

季語 : 郭公(夏) 出典 : 『藤の實』

 

A little cuckoo
laying its voice over
the water

 

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水辺の夕景

庭はきて雪をわするゝはゝきかな

にわはきてゆきをわするるははきかな

 

 元禄5年(1691)の作か。『蕉影餘韻』「寒山画讃」(芭蕉真蹟)に、箒を持った寒山の後ろ姿と共に、掲句が添えられている。

 掲句には、庭の雪を掃きながらも、雪を忘れている寒山の融通無碍なる閑身自在心が詠まれている。もっとも、実際の雪は掃かれているのだが、その刹那に忘れられているのは「雪」という、記号としての言葉である。それに付随する様々な固定観念を掃き捨てるのが寒山の帚である。そうして初めて、天然造化の雪は物自体へと還元され「物の見えたる光」として、その本性を現す。それは恍惚の瞬間であり、まさに禅機とも言えよう。

 

季語 : 雪(冬) 出典 : 『篇突』(『蕉影餘韻』)

 

Sweeping the garden
the snow fades into oblivion
with a broom

 

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芭蕉寒山画讃 『蕉影餘韻』

 

ものいへば唇寒し秋の風

ものいへばくちびるさむしあきのかぜ

 

 元禄4年(1691)年頃の作か。芭蕉は、元禄5年(1691)に新築された芭蕉庵に座右の銘として掲句を書き付けている。『芭蕉庵小文庫』では、「物いへば唇寒し穐の風」の前書として「座右之銘/人の短をいふ事なかれ/己が長をとく事なかれ」とある。

 言葉を発すれば、秋風が唇にしみて寒いという句意だが、前書を考慮すれば、もちろん、それだけではなく、他人の悪口を言えば心に毒だし、自慢話をすればおこがましいという自戒の念が込められている。いわゆる「口は禍いの門」あるいは「沈黙は金」ということも含まれていよう。いずれにしても、剛毅木訥の仁を重んじる芭蕉らしい句と言える。

 ちなみに、コロナ禍の現在では、人前でマスクを着けないで喋ると冷たく見られるということもふと脳裡を過ぎる。もっとも、掲句は、言論の自由が制限された事を揶揄するものと捉えられたこともあったりと、いろいろに意味深長である。時代を超えて人口に膾炙するのも、俳諧における要素の一つである諷諫の効能によるものだろう。

 

季語 : 秋の風(秋) 出典 : 『續蕉影餘韻』(『芭蕉庵小文庫』)

 

Opening my mouth,
I have cold lips
in the autumn wind

 

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名月や門にさし来ル潮がしら

めいげつやかどにさしくるしほがしら

 

 元禄5年(1692)8月15日の作。江戸深川・芭蕉庵で月見を催した際の句。同年5月から、芭蕉は旧庵の近くに新築された芭蕉庵で過ごし、そこで仲秋の名月を眺めた。旧庵と同じく、新庵も隅田川小名木川が合流する北の角地にあり江戸湾にも近い。ちょうど仲秋の頃は大潮で海面が高くなっており、川へ面した芭蕉庵の門へも波が打ち寄せるほどであったのだろう。しかも、水面に映る名月の光が帯のように波に揺られながら庵の門口まで迫ってくる。その光の帯は名月と芭蕉庵を結ぶ一本の道のようでもあり、あたかも、波を越えて月からの使者がやって来るような幻想的な光景が想像される。まさに「天人合一」を思わせる詩境である。

 

季語 : 名月(秋) 出典 : 『名月集』

 

The harvest moon —
crests of waves are just coming
closer to the gate

 

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名月

 

鎌倉を生て出けむ初鰹

かまくらをいきていでけむはつがつを

 

 元禄5年(1692)4月の作か。『徒然草』の第119段にも、鎌倉の海で獲れる鰹が賞されている。江戸時代になると、物資の運送も発達して鎌倉あたりの魚介は新鮮なまま江戸へ運ばれた。掲句には、鎌倉で水揚げされた初鰹が活きの良いまま、その日のうちに届けられて、それを味わう江戸っ子の自慢が察せられる。

 ただ、私は、それと同時に、鎌倉を脱出して渡宋しようとした右大臣実朝のことが思い浮かばれる。結局、実朝はそれに失敗して、その二年後、鶴岡八幡宮にて公暁に暗殺される。そののち、鎌倉幕府滅亡の際に、新田義貞に攻められて鎌倉で切腹した北条高時ら、あるいは、二階堂ヶ谷に幽閉されていた護良親王の壮絶な最期も思い合わされる。「鎌倉」とは、北と東西を切り立つ山に、南を海に、囲まれた天然の要害だが、それ故に、その狭い府中での抗争や死闘は激烈なイメージがつきまとう。そうした鎌倉の持つ死地の一面も、逆に「生きて出けむ」という措辞を際立たせているように感じられる。

 

季語 : 初鰹(夏) 出典 : 『葛の松原』

 

The season's first bonito
it must have been carried alive
out Kamakura

 

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鴬や餅に糞する縁の先

うぐひすやもちにふんするえんのさき

 

 元禄5年(1692)正月頃の作か。鴬と言えば、古来、春告鳥とも呼ばれ、めでたく雅なものとして詠まれては来た。ところが、掲句では、その糞が餅に落ちるという卑俗な場景を詠んで、雅俗という二項対立の超克に詩的昇華を求めている。これまで固定観念化されてきた鴬のイメージを打破すること、つまり、鴬という言葉によって隠蔽されてきた「鴬」の本性に迫ることが可能になり、俳諧的な新しい詩性が開かれたと言ってようだろう。当然と言えばそうかもしれないが、それだけ和歌が長らく伝統的な固定観念に囚われて鴬が詠まれてきたということだろう。

 鴬も我々人間も同じく糞をする動物に変わりはない。人間は糞をすることを隠すが、むしろ、雅な鴬はところ構わず糞をするが、鴬に何の罪もない。ただ、人間が食べる餅の上だから、人間が迷惑するだけである。その迷惑だって人間の勝手な言い分である。勝手に雅なものとして人間が珍重してきた鴬によって、人間の浅ましさもそこに露呈され、滑稽が生じる。その滑稽こそが俳諧における詩性の根源であることを再確認させられる。元禄時代俳諧は、すでに和歌的な「雅」に傾斜して、本来の面目を失っていたのであろう。ここに古い固定観念を打破して、もう一度、日常卑近に詩性を見出すことを芭蕉は掲句において体現したのだと思う。晩年の芭蕉が目指した「軽み」の先蹤がここに覗える。

 

季語 : 鴬(春) 出典 : 『鶴来酒』(『葛の松原』)

 

A bush warbler —
poop on the rice cake
at the veranda's edge

 

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人も見ぬ春や鏡のうらの梅

ひともみぬかがみのうらのうめ

 

 元禄5年(1692)の作。芭蕉は、前年の10月29日に江戸へ戻り、日本橋橘町の借家で越年しており、元禄5年5月に新築された深川の芭蕉庵に入っている。したがって、掲句は掲句は借家住まいの折に詠まれたものと思われる。

 江戸時代の手鏡には白銅境がよく用いられており、鏡面の裏には花鳥などの装飾が鋳付けられている。そこに密かに咲く梅をあまり人が見ないように、隠棲する芭蕉も人とあまり接することのない春を過ごしていることが掲句から覗える。つまり、春爛漫の世間とは裏腹にある鏡の梅と芭蕉が同化している。

 ちなみに、鏡に映されるものは、たしかにこの世であるが、それは自分から見れば左右反転しており、全くのこの世を反映している訳ではない。それは鏡面側すなわち他者から見た映像と同じではあるが、自分から見たこの世を鏡にそのまま映し出すことは不可能である。掲句では、上述のように「人も見ぬ」が「梅」に掛かるとする解釈が一般的だが、それはそれで良いとして、私はむしろ春なのに他人を見ることもない侘び住まいの芭蕉とも捉えたい。もちろん、他者の視点を持つ鏡と言えどもその裏側を映し見ることはできない。つまり、芭蕉も梅も他者からの干渉を受けることなく、自らの春を己がじしひそかに過ごしているということになる。そこに「自灯明」の精神を養う芭蕉の道心もまた覗われる。

 

季語 : 春(春) 出典 : 『己が光』

 

Despite the spring
I meet nobody, they notice plum blossoms
on the back of mirror

 

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梅の花